Pythonでレトロゲームをつろう!!(佐藤 誠 の あくまでも独り言)

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息子が15年間続けた水泳選手を引退

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感謝の言葉

昨日、息子が「水泳をやらせてくれてありがとう」と一言残して、高校最後の大会に向いました。そして水泳選手を引退しました。

 

15年間の水泳生活にピリオド

3歳から近所のスイミングスクールに入り、6歳で選手に選ばれて、中学、高校と水泳選手を続けて来ましたが、親の私達からするとあっという間の選手生活でした。

 

3歳の頃はよくプールサイドで可愛い姿を見学しました。プールに投げ込まれても泣かなかった事をよく覚えています。

小学生になって、初めて参加した記録大会で大賞を貰いました。その時に貰った大きなトロフィーを持って、近所のうどん屋さんでお祝いをした事がとても懐かしく思えます。

「息子さんはキック(バタ足)が強いですね。面白い選手になりますよ!」とコーチに言われて舞い上がったりしました。

将来はオリンピック選手か⁈・・・なんて当時は親馬鹿だったなぁ。

 

毎月いろんな水泳学校で試合をしましたが、年に数回は、この「なみはやドーム(現ラクタブドーム)」で大きな大会に出場し、一生懸命に泳ぐ息子の姿を応援し続けました。

ここのプールは他に比べて水深が深く、初めて泳いだ時は足がつかず怖がっていましたが、十数年間泳ぎ続けているうちに、いつしか息子にとってのホームグラウンドのような存在に変わっていきました。

そんな「なみはやドーム」で高校最後の引退試合を泳ぐ事ができて、本当に良かったと思います。

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最期の泳ぎを見届ける

最後の種目は、4人で200メートルづつを泳ぐ「800メートル・フリーリレー」で、最終泳者(アンカー)を務めました。

第一泳者は中々のスタートを切ったが、流石はインターハイの地区大会。強豪高との激戦の末、気がつけば10チーム中で一番最後まで順位を落としてしまいました。そして前泳者を引き継いで、息子がプールに飛び込みました。

あまりにも他の選手に距離を離されていた為、泳いでも泳いでも、その差は縮まらない。

それでも必死で泳いでいることがよくわかります。

たまに軽く流しながら泳いでるな?と思う試合も有りましたが、この試合は本当に一生懸命に泳いでいる。十数年間の集大成を見せよう、全力で選手魂を燃やしている様に感じました。

 

そして最終ターンを終え、体力が消耗して一番辛い残り50メートルに入ります。

徐々に8、9番手の選手のスピードが落ちてきました。もう体力が残ってないのでしょう。ただしそれは他の選手達も同じです。持てる力を振り絞って最後の50メートルを泳いでいるのです。

ところが息子はその疲れを吹き飛ばすかの様に、スピードを落とさず泳ぎ続けています。

他の選手は足に力が入らず、キック(バタ足)が弱まる中、激しく白く美しい泡をたてながら、キックで加速していく。

「まさか、追いつくんと違う⁈」妻がそう言うと、8、9番手の選手との差がどんどん縮まっていきます。

「よっしゃ!いけー!!」大声で叫びました。

気が付けば、前の泳者が直ぐにそこにいます。

「もうすぐゴールや!がんばれー!」

応援の叫び声のなか、息子は見事に二人を抜き去ってゴールしました。その瞬間、私の瞳に涙が溢れてきました。

 

息子に伝えたい事
生まれてきてまだ18年しか経っていないのに、既に15年間も泳ぎ続けてこれた。

オリンピック選手にはなれなかったけれど、「15年間続けてこれたものが有る」と言う実績は、何事にもかえるる事ができない貴重な経験です。

もうすでに大学受験と言う次の試合が始まっていますが、この人生の節目になる大きな試合も、同じ様に最後まで諦めず、全力で立ち向かって欲しいと心からそう思います。

 

・・・15年間、本当にお疲れ様でした。そして努力する姿を見せ続けてくれて、ありがとう。

 

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