最近、文春の記事に共感を覚え将来について考えさせられた。池上彰と国立情報学研究所 新井紀子教授の対談記事だ。
人間に残される仕事はAIの苦手な仕事
対談記事の内容は、10~20年後には現状の仕事の約半分がAIに取って代わられる。その時にかろうじて人間に残された仕事は、AIが苦手な微妙なニュアンスなどを読み取る読解力を必要とする仕事だ。
ある実験で、AIに受験勉強をさせて東大入試相当の模擬テストを受けさせた結果、ほぼ合格圏の点数が取れたそうだ。
特筆すべきところは、暗記ものの歴史や、計算ものの数学などはほぼ満点に近いが、逆に英語や国語などの微妙なニュアンスを感じ取る必要がある教科については、あまり点数が伸びなかったらしい。
要は私たちが将来の仕事を確保するためには、AIが苦手な読解力を必要とする仕事が狙い目なのだ。
ところが現代の学生は読解力が非常に乏しい。その原因は子供の頃からじっくりと考える習慣が無い為だ。
最近の教育では読解力が育たない
学習塾では子供が解らないところがあると、講師が直ぐに判りやすく解き方を教えてくれる。そういった講師が生徒や父兄からも評判が良く、良い講師とされる風潮がある。しかしその結果、子供の考える習慣を奪っている事に皆が気づいていない。
昔の子供は、解らない問題を何時間もかけて考えたりしていたが、今の子供は考えても3分ぐらい?で、塾でも解らない問題はすぐにとばして、次の問題を解くように指導される。
その方がテストの点数が良くなるからだ。
そうやって育った子供たちは考える力や忍耐力が乏しく、読解力が育たないまま大きくなってしまう。
AIに仕事を奪われるよりAIを使う側に立つ
そう考えると、子供の頃からのプログラミング経験などは、答えを悩みながら自分で考え、意図した結果へ導いていく作業の繰り返しになるので、将来AIに勝ち自分の仕事を確保する為には良い勉強かもしれない。
AIに仕事を奪われるよりも、AIを使う側になる事を目指したいものだ。
近い将来、働き方が変わる
私自身、AIに取って代わる事ができないコミュニケーション能力の向上と、将来に備えてIT関連の勉強を加速する必要性を、最近は強く感じている。
AIの発達に加えて終身雇用制度の限界も合間って、10〜20後の日本では会社に雇われている事が当たり前ではなくなっているかもしれません。
その時は、フリーや独立など、自分自信の力で収益を稼ぐ事が必要な社会になっているだろう。